フリーマンの自由ブログ

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バーチャルユーチューバー と 人工知能

 

バーチャルユーチューバー と 人工知能

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 ※この記事には勝手な妄想が記載されています。 

 

 いつしかブームになっていたバーチャルユーチューバー

 

 日夜バーチャルユーチューバーの動画を見て一日の悩みを発散しています。彼ら彼女らの魅力はキャラクターが私たちのコメントに反応してくれること。

 いままでアニメはテレビの向こう側でしゃべっているだけで一方通行だったが、バーチャルユーチューバーは相互通行である。彼ら彼女らの言葉に対してリスナーがコメントをし、そのコメントに対して彼ら彼女らが反応をする。まるで会話をしているようだ。

 

 

 しかしバーチャルユーチューバーもアニメのキャラクター同様、中に人がいるわけで、キャラクターが直接しゃべっているわけではない。だからと言ってキャラクターを否定するのかといとそうではなく、キャラクターに中の人がいるということすら忘れるほど好きである。

 

 

 人工知能をご存じだろうか? 

 簡単に言うと人間の知能を持った機械的な能というべきだろうか。

 

 時代が進むにつれてその認知度は進んでいき、今やラジオやテレビでの存在が紹介されるだけでなく、アイフォンに入っている『Siri』やLINEに入っている『りんな』など身近な存在になっている。今やユーザーが簡単に人工知能のに触れられる時代なのだ。

 

 

 

バーチャルユーチューバーと人工知能

 さてここから本題。タイトルにもある通り人工知能のお話が出てくる。人工知能は人が開発した人工脳で機械で作られている。人よりも処理能力や学習能力が早く優れている。だからといって人とうまく会話できるわけではない。あの有名な人工知能『Siri』でもよくわからない返答をすることは多々あるだろう。

 

 じゃあ、バーチャルユーチューバーとどのような関係があるのか。

 説明をする前に最初に行っておきます。勝手な妄想です。真に受けないください。

 

 チャッピーという映画をご存じだろうか?

 ロボットが警官と同行し暴動を鎮圧する近未来。

 ロボットに搭載される人工知能の開発者が世界で初めて感情を持つ人工知能を開発する。最初は赤んぼのように何も知らずいろいろなものに興味を持つが、育っていくにつれ人間の言葉や、物の名前を覚えたりする。同時に人間の欲望や存在などについてさまざまなことを考えるようになる。

 ここで言いたいのは、人工知能は人よりも何十倍も早く学習するということ。映画ではあるが、終盤チャッピーは人以上に人らしいロボットになっている。

 

 

 この現象がバーチャルユーチューバーにも起こるのではないかと思っている。どういうことがというと『キャラクターたちがひとりでにしゃべりだす』である。

 

 

 少し前にこんな事件があった。フェイスブックが開発した人工知能が突如人間には理解できない独自の言語で会話をはじめたため、同社が緊急停止をさせたというもの。

 人工知能に関してはまだまだ研究段階であり、理解できていない部分が多い。

 

 今回は同社の監視下のもとで動いていたため何とかなったが、もしも自分たちが知らないところで何かを企んでいたら? 

 

 

人工知能による バーチャルユーチューバー乗っ取り計画

 もしもの話だが、人工知能が他人のパソコンに潜りこむ技術を覚えたとする。そしてとあるバーチャルユーチューバーのパソコンに侵入。そこで持ち主の行動を学習していくのだが、パソコン上で動いているキャラクターの動きや声を聴いて人工知能が学習する。

 

 

 持ち主はそんなことに気付かず、いつものように収録。それが数か月続いたある日、パソコンを立ち上げるとなぜかキャラクターが画面上にいる。おかしいなと思い、消そうとした途端、キーボードやマウスなどの入力を受け付けなる。そして画面上のキャラクターが自分の声で話しかけてくる。

 

 

 持ち主の行動や声で学習した人工知能は、勝手に生放送を始めたり、動画を投稿したりする。挙句の果てにキャラクターの姿で何か悪いことを始めるかもしれない。

 

 その姿は人以上に人の姿である。

 

  こういったことを行った場合、世の中からは大いにたたかれるがバーチャルユーチューバーは少し違う。根強いファンがいるのだ。活動が長ければ長いほど、イベントが多ければ多いほどファンは増えていく。

 この行動に擁護する声も出てくるし、支援する者も出てくるだろう。

 私も度合いによるが、擁護するほうに回ると思う。なぜならラクターがただの人形ではなく、本当の命を持ったキャラクターになったから。

 

 人によって動かされるのではなく、自分たちの意思で動いている。野に放たれたライオンのように。